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おんなはつらいよ 

世界の国からこんにちは

私たちのティファニーで朝食を

  波長が合うというのはとても不思議な現象だ。

この世界には、いくら長い時間を共に過ごしても会うたびに初対面のような気分になる人が一方、たった数時間過ごしただけなのに、またどこかで会えることを確信してしまうような人もいる。

国籍や年齢も違う。過ごした時間の長さもそれぞれバラバラだけれども、出会いと別れの繰り返しが日常の旅の中で、これからも大切にしたいと思う出会いがいくつもあった。

イタリア人のステフォニアとはロンドンの語学学校で知り合った。

初めて会った時、ウェーブがかった長い黒髪に黒い服を纏い、アイラインばっちりの大きな目と真っ赤なルージュを引いた彼女はとても綺麗でかっこよくて、まるで女優のようだと思った。

ツンとしてとっつきにくく見える外見に対し、中身はとてもシャイで気さくで聖母のように優しくて、とても落ち着いていた。けれども好奇心旺盛でお酒と音楽が好きだったためか、私たちは瞬く間に仲良くなった。

放課後公園でビールを飲み、パブに行ってはビールを飲み、授業最終日は学校の屋上でもビールを飲んだ。私たちの友情はビールと音楽で形成されたと言っても過言ではない。

彼女とは好きなものや大事にしていることがとても似ていた。

だから私がいいと思う場所にはいつも彼女を誘ったし、彼女も色々な場所に私を連れ出してくれた。

今も旅先でグッとくるお店や場所に遭遇するたびに「絶対ステフォニアも好きだろうな」と心の中でよく思う。

二人でジャズハウスへ行ったり、美術館へ行ったり、ミュージカルを見たり、背伸びしておしゃれなバーに行ってみたり。かといえば道端や公園で延々と話し込んだり、笑い転げたり、何もしないでのんびり過ごしたりすることもできる、気を使わないでいられる人。

私は彼女の包容力や誠実さ、人間性をとても尊敬している。なかなかいないこんな人。

感性が似ていて共感できることの多い彼女とは、将来の話も、恋愛の話も、難しい話も、どうでもいいくだらない話も全部できた。

お互いにロンドンに来る決断をしていなければ、一生出会うことはなかったのだと思うとそれだけで旅に出たことは大正解だったと思える。

 

今回初めて訪れた彼女の住むイタリアは本当に美しい国だった。多くの人が口を揃えて「良い場所だ」と言うことに、大袈裟ではなく大いに納得した。

ロンドンではラッキーなことにヴェネチアフィレンツェ、ローマと各都市に友人ができたので、イタリアの旅は友人を巡る旅でもあった。

彼女たちから最高のもてなしを受けて、この国がますます好きになった。

美味しいご飯を食べてワインなんか飲んじゃって、絵葉書のような景色の中を歩けば、誰もがこの国に魅了されるだろう。衣食住すべてにおいて秀でている。

出会った旅人たちも芸術や建築や食に精通した人たちが多く、面白かった。

この美しい土地から数ある芸術や文化が生まれてきたことは、もう必然としか言いようがない。

ナポリを見て死ね」という言葉があるが、「いいえ、見てしまったらもう死ねない!もう一度この国に戻るまでは」とご返答したくなるくらいだ。

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 イタリアを代表とする観光都市でそれぞれの友人と再会した後、私はステフォニアに会うために北イタリアの「レッジョ・エミリア」という小さな街へ向かった。

再会した瞬間から話が止まらない。ロンドンで別れてから今日までの二ヶ月間で起きた出来事をお互いにものすごい勢いで喋り尽くした。

大学を卒業したばかりの彼女は、卒業と同時に自分のアパートを引き払い、大学時代の友人宅を転々としていてスーツケース暮らし。

しかし今回短期間で借りられるアパートを探してくれて、私たちはそこで一週間過ごした。

帰国した彼女は、その時ちょうど就活真っ只中。そんな人生の大事な岐路に立っている時にも関わらず、私が来ることを歓迎してくれる彼女の懐の深さ。そして自分のずうずうしさ。

前々から聞いてはいたが、彼女はミラノで出版や広告の仕事に携わりたいのだという。

昨今どこの国でも職探しは困難を極めるが、イタリアは失業率も高く、特に仕事を得ることが難しいという。ましてや出版やメディア業界は人気の職種だ。

そんな中、エントリーシートをひたすら送っては面接のアポイントが来るのを待つ日々に彼女は疲れ果てていた。だから私が来るのは気分転換になるなんて優しいことを言ってくれた。

 レッジョ・エミリアは、パルマボローニャ、そしてミラノにも近く、連日彼女は私を色々な場所へ連れて行ってくれたけど、二人でいればお酒を飲みながらひたすらお喋りしているだけで時間は過ぎていく。だから観光名所なんてそっちのけ。でもそれこそが私たちらしい過ごし方。

彼女の友人たちとも沢山会った。皆が彼女の人間性にとても惹かれていて、大切にされていることが伝わってくる。大好きな友人に大切な人が沢山いることは、私を幸せな気分にさせた。

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 最終日、私たちは日帰りでミラノへ行った。早朝に出発し列車で2時間。

到着したミラノは大都会の忙しい日常が広がっていた。

洗練された街に洗練された人々が行き交う中、煌煌と輝く白い巨大なドゥオモが貫録を放ちながら建っているのを見た時、胸がときめいた。やっぱり大都会が大好きだ。

彼女は7年前に大学に通うため、故郷の南イタリアからレッジョ・エミリアに上京してきた。その頃から時々ミラノへ来るたびに訪れる場所があると言う。

「ここは私にとってのティファニーなんだ」そう言って連れて行ったくれたのは、ミラノの中心地に佇む老舗デパートだった。

ティファニーで朝食を」でオードリー・ヘップバーンが演じたホリーにとってのティファニーのように、女性なら誰しも自分にとってのティファニーがあるのではないだろうか。

勇気が欲しい時、新しい自分になりたい時、私たちのティファニーはそっとエスコートしていつも元気をくれる。

上京したばかりの頃は、お金が無いからここに来ても何も買えないという現実を突きつけられ、悲しい気分になって立ち去ることばかりだったという。

しかし年齢を重ねるにつれ、仕事で得た少しばかりのお金で小さい小物や口紅など、何か小さなものを一つだけ買って帰れるようになった時、この場所が自分にとってのティファニーになったそうだ。

その頃からいつかミラノに住んで働くことが彼女の夢になった。

子供の頃には味わえなかった大人の楽しみを私たちは少しずつ知り始める年齢になってきている。大人になることで失ったものも沢山あるけれど、失ったもの以上にもっともっと楽しいことを知り始めている。

先日彼女は、初めてここで念願だった靴を買ったそうだ。とても奮発したらしい。

その靴は今、彼女の仕事探しの相棒になっている。ミラノで買ったその靴が彼女をミラノへと導いてくれる日はそう遠くないだろう。

二人してうっとりしながら靴や洋服を手にとっては、可愛くない値段を見て無言で元に戻すという行為を何度も繰り返し、私たちはため息混じりに屋上へと向かった。

いつも一通り見終わると、景色を一望できる屋上の喫煙所で一服してから帰るのが定番コースだそうだ。

彼女にもらった煙草を一本吸いながら目の前に広がる大都会ミラノの景色を眺め、私は漠然と日本に帰国した後のことを考えていた。

最終列車ギリギリまでミラノを堪能した。彼女がこの街を好きなように、私もこの街が好きだと思った。忙しい場所だけど、可能性も刺激も希望もここには詰まっている。

いつか彼女がミラノに住むことになったら、またここへ来よう。

彼女とは、また何度でも会える気がしている。イタリアでだって、日本でだって絶対に。

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ちょうど二ヶ月ほど前、ステフォニアから連絡がきた。

「仕事が決まり、ミラノで働き始めた」と。

ミラノは超最高だけど、超大変!!!混乱してる!!!」と泣き笑い顔の絵文字と共に送られてきたけれど、私にはわかる。

彼女のこれからがもっともっと楽しいものになっていくことを。

だってこんなにもあの街が似合う女はいない!

ミラノの街角で煙草を吸いながら、誰かと電話している彼女の姿が浮かんだ。

最高にかっこいい彼女に似合う街はやっぱりここしか無いと思う。

近況報告がまるで自分のことのように嬉しかった。

彼女は前進した。さて次は私の番だ。

日本に帰ったら私もまた新しい生活をスタートさせなければならない。

どうなるかわからない。勤労こそが美徳であるようなこの国で、散々遊び歩いてきた人間に社会は甘くないことくらい想像がつく。

旅に出たところで別に大きく何かが変わるわけじゃない。これっぽっちもすごいことなんかしていないし、履歴書に追加できることなんか何一つない。

けれども道中で出会った世界中に散らばる友人たちからもらった大きな刺激が、確実に今の私を動かしている。

彼や彼女たちと再び会える日を夢見て、私は自分の在るべき場所をもう一度日本で探そう。

そして近い将来、ステフォニアが日本へ遊びに来たら今度は私のティファニーへ連れて行こう。

シックな服を着て、ハイヒールを履いて、私の大好きな東京の街を一緒に歩きたい。

彼女とだったらお気に入りのジャズハウスも、ガード下の渋い居酒屋も、おしゃれなデパートも、活気溢れる下町散策も全部がもっともっと楽しいはずだ。

その時のことを想像してみたら、びっくりするほど未来は明るい。

 

終わりではなく、始まり

 ベルリンから鉄道に乗り、次の目的地であるポーランドへと向う。

国境に差し掛かった時、列車に乗り込んできた国境警備隊の制服姿と佇まいが、まるで映画のワンシーンを見ているかのようでワクワクした。

あなたはポーランドと聞いて、まず何を思い浮かべるだろう。

失礼だが、ドイツやフランスのようにパッと何かが浮かぶメジャーな国ではないと思う。代表的なところで言えば、ショパンが生まれた国だそうだ。

キュリー夫人コペルニクスも同郷らしいが、いまいちピンとこない。

これらの歴史上の人物は、小学生なら誰もが一度は手にしたことのある、伝記漫画でのお馴染みのラインナップだ。

ここにナイチンゲール野口英世、ベートーベン辺りが加われば完璧なキャスティングであろう。

しかし不思議なのは、図書室で食い入るように読んだ割に、彼らがどんな一生を送ったのかが思い出せないこと。

彼らの生涯についてなら、ぜひ現役の小学生に説明してもらおう。それが一番確実だ。

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(リアル”世界の車窓から”)

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スターリンからのありがた迷惑な贈り物である街のランドマーク。ワルシャワ市民からは大不評らしい。)

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ワルシャワは第二次大戦で壊滅状態になったため、新しい建物ばかり。)

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(安くて旨すぎるポーランド名物の”ザピカンカ”。)

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(人生初のシナゴーグ。教会やモスクに比べるとかなり質素な作り。)

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f:id:junoonuj:20170330094856j:plain(「失われたものの復興は未来への責任である」という理念の下、戦後市民の力で破壊前の状態に再建されたワルシャワの旧市街。その意志に本当に感動した。)

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コペルニクス像と美女。ポーランドは美女率がとんでもなく高い!)

 実はポーランド、今回の旅の中で絶対に外せない国だった。かれこれ10年以上前からずっと訪れてみたい場所があったのだ。

それは「アウシュビッツ強制収容所」である。あまりにも有名な場所なので今更説明する必要はないだろう。

この場所を最初に知ったのは、小学3、4年生の頃だったと思う。

我が家には、寝る前に好きな本を選び、母に読みきかせをしてもらってから眠るという習慣があり、それは幼少期から小学校中学年くらいまで続いた。

成長するにつれ絵本からは卒業し、だんだん分厚くて挿絵のない、いわゆる読み物を毎晩数ページずつ読んでもらうようになっていった。

そんなある日、アウシュビッツに関する本を読んでもらう機会があった。

今では本の題名も、詳しい内容も忘れてしまったが、数名の日本人がアウシュビッツ強制収容所を訪問するという、ルポルタージュ的なものを子供向けに出版したものだったと思う。とにかく怖くて怖くて仕方がなかった。その本に書かれていた内容は、私に強烈なダメージを与えた。いわゆるトラウマってやつだ。

そしてそれは私が初めて触れた、日本以外の国の戦争の話であった。

図書館で借りたこの本を、なぜ選んだのかは覚えていない。私が関心を示したからなのか、母が私に伝えたかったからなのか。おそらくそのどちらでもあったと思う。

とにかく、母と私の間には「まだ小さいから知らなくてもいい」という考えは存在しなかったし、私も随分と知りたがり屋な子供だったので、幼い頃から曾祖母の戦争体験を母から聞いたり、原爆や沖縄戦に関する本を読んだりと、戦争というのものに触れる機会は多かった。

怖いという感情は抱きつつも、知りたいという欲求が勝ってしまう。

母はそんな私に対して子ども扱いせず、いつも丁寧に説明してくれた。

この頃から戦争に関して、目を背けてはいけないと思ってずっと生きてきた。

毎年8月の二週目辺りは、テレビをつければ何だか明るくて楽しいだけの夏休みではなかったし、日本の夏には戦争の暗い記憶が潜んでいることを子供ながらに感じていた。

何冊もの本を読むよりも、テレビや映画で学ぶよりも、自分の目で見たい。

大人になり現地に出向くことが可能になった今、念願の訪問なのだ。

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(有名な入口。「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」の標語。)

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(脱走を防ぐため有刺鉄線には電流が流れるようにできていたそうだ)

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(使用済みの毒ガスの缶とガス室へと続く焼却炉)

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(没収された靴や鞄や家財道具。「新天地への引っ越し」だと告げられた人々が一様に大切なものを持ってここに連れてこられた。)

正式名称「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」は、ポーランドの南部、オシフィエンチムという郊外の街にあり、見学したこの日も世界中から沢山の人々が訪れていた。ガイドも何ヵ国語にも分かれている。

館内のガイドの方たちは、主観を取り除き、脚色せずに伝えることをモットーにしていると言い、決して感情的にならず、ここで起きた事実を淡々と、しかし非常に丁寧に説明してくれた。

いつらかの予備知識はあったものの、訪れなければ知ることができなかった数々の事実があった。

例えば、当初この場所は、ナチスに反抗するポーランド人の虐殺を目的としていたが、時が経つにつれ、ヨーロッパ中のユダヤ人を中心とし、他にも同性愛者や政治犯、ジプシー、精神障害者ソ連の捕虜、聖職者なども送り込まれていたこと。

また収容所内は、人間の心理というものが徹底的に追求されていた。

同じ収容者の中でも監視役などの役職を与え、優劣をつけて待遇を変えることにより、暴動を起こさせないようにする工夫や、職員の精神的な罪悪感を逃れる為、ガス室での一連の行為をユダヤ人自身に行わせていたこと。

他にも執行側の精神的な苦痛を考慮して、様々な作業が単純労働化されていたりと、想像を絶する事実に何度も背筋が凍った。

極限の状態に追い込まれた人間を、コントロールすることの簡単さを理解した上でこの場所は成り立っていたのだ。

また敗戦間近、証拠隠滅のためナチスは多くの資料を急いで処分したそうだ。展示されているものは処分から免れた本当に貴重な資料である。

数々の展示の中で、収容者の顔写真だけが何十枚も展示されている廊下があった。

収容所が稼働し始めた初期の頃、資料としてすべての収容者の顔写真が撮影されたらしい。私はそこからしばらく動けなかった。

彼らが味わった屈辱を想像した。髪を剃られ、囚人服を着せられ、名前と引き換えに与えられた番号を刺青として体に刻まれる。そこには正当な理由なんてない。「ユダヤ人だから」である。

彼らは何を思いながらカメラの前に座り、レンズを見つめたのだろうか。

写真に写る彼らの目から、怒りや嘆きは読み取れなかった。その目はただまっすぐレンズを見つめていた。それが非常に悲しかった。

ナチスが行った「ユダヤ人絶滅計画」。まるで害虫でも駆除するかのような軽くて悍ましい言葉だ。

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三時間ほどの見学を終え、精神的な疲労は感じているものの、当初想像していたよりもずっと、自分自身が冷静なことに気づいた。

もちろんここで起きたことを直視するのは、本当に恐ろしかったし、苦しかった。

当時の姿のまま残された建物を見学するたび、実際にここで沢山の人が亡くなったのかと思うと足がすくんだ。

けれども数々の悍ましい出来事を、自分と遠い世界の昔話だとは思わなかった。

この収容所を稼働させていたのは、悪魔でも化け物でもなく、私と同じ人間だった。

こんな酷いことができる奴は人間なんかじゃないと思う自分と、いざとなれば周りに飲み込まれ、良心なんか簡単に捨てることができてしまう人間の弱さを知っている自分がいた。

ここで起きたことは、何か小さなきっかけで、いつでもどこでも再び起こりうるだろう。

実際にアウシュビッツ後の世界でも、場所や人種や方法を変えて似たようなことが繰り返されてきた。第二、第三のアンネ・フランクは世界中にいる。

決してあの時代が特別だったわけではない。閉塞感が漂い、内向きになっているところ、異質だと感じるものや不利益だと思うものを徹底的に排除しようとする動き、それは今の世界と被るところでもある。

いつの間にか自分の意思とは違う方向に流され、正しいと思う自分でいられなくなってしまうこと、もはや自分の意思が何だったかさえも忘れてしまうこと、それが一番恐ろしいことなのかもしれない。

果たして、自分は世の中の大きな波に飲み込まれないと言い切れるだろうか。それはその時になってみないとわからないと誰もが言うだろう。私もそう思う。

でもその時にはもう手遅れで、取り返しのつかない方向へ進んでいってしまうのだと、この場所は私たちに訴えかけているように感じた。

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アウシュビッツの近くに建てられているビルケナウ強制収容所

収容者の数が増え、とうとうアウシュビッツだけでは間に合わなくなり、大至急建設された第二収容所だ。

この日は夏の終わりに吹く気持ちの良い風と、青々とした緑が広がり、辺りは皮肉なほど美しい景色が広がっていた。

この場所で昔、悍ましいことが起きていたなんて誰も想像がつかないくらいだ。

きっと70数年前にも、今日と同じように風が心地良く、緑が美しい日があったに違いない。

綺麗なものを綺麗と感じ、「綺麗」と素直に口に出せる自由を本当に幸せに思う。

この幸せは、誰にも奪われてはいけないものなのだ。

存在を知った時から、いつか絶対に行こうと思っていた「アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所」。

知識を詰め込んで訪れたい。いや、訪れなければいけないとずっと思っていた。

そしてここに来れば、自分の中で何かが完結する気でいた。だけどそれは間違いだ。

ここに来たことは、終わりではなく、始まりでしかなかったのだ。

人間は悲しいくらい何度も同じ過ちを繰り返す生き物だ。だからこそ何度だって私たちは過去から学び、考える。必要なのは涙を流すことではなく、考えることなのだ。 

 

笑いのオペラ

 今日は「音楽の都、ウィーンに行ったらオペラを見よう」と背伸びした結果、起こった悲劇をご紹介しよう。

ハンガリーの首都、ブタペストからバスに乗って2時間半ほどで到着したオーストリアの首都ウィーン。オーストリアと言えば、子供の頃に大好きだったミュージカル「ふたりのロッテ」の舞台になった国である。

物価が高くバックパッカー向けではないこの国には、ハンガリーからクロアチアまで行くための中継地点として一日だけ滞在することになった。

ちらほら見かけた日本人観光客は皆、小綺麗な格好をしていて、芸術に精通していそうな雰囲気の方ばかり。大きなバックパックを担ぐ姿は明らかに浮いていた。

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 一日しかないウィーン滞在の最大の目的は「オペラ鑑賞」である。

チェコプラハで弦楽器のクインテットが奏でる、素晴らしいクラシックコンサートに行き、本場で聴くクラシックの格別さに虜になった。小さい頃からクラシックを聴くことが好きだったけれども、会場の外に出た瞬間に中世そのままの美しい景色が広がり、家路に着くまでの道のりすらコンサートの一部のようで、余韻に浸れるという部分では、日本では絶対に味わえない。クラシックとは、やはりこういう美しい街並みがあったからこそ生まれた音楽なのだなと思う。街並みと音色がとびきりマッチするのだ。

本場で本場のものを味わう良さに目覚めた私は、もう23にもなったことだし、大人の嗜みを知るという意味でも、今回ウィーンではオペラ座でオペラを聴こうと思っていた。

 

ウィーンに到着して早々、劇場の前でチケットを売っているのを発見。

噂には聞いていたが、貧乏旅行の私たちでも手が届く、良心的なお値段だった。

係員にドレスコードを尋ねると「この時間帯は観光客向けのものだから何でもOK!その格好でも大丈夫!」とTシャツ+デニム姿の私たちに言った。

しかしここはウィーンのオペラ座だ。いくら彼がOKと言ったって、それではテンションが上がらない。つくづく思うのだが、何事もムード作りというのは大切だ。

それを大きく担うのはやはり着るものだったりするわけで。早い話、私たちはお洒落することに飢えていた。

それまでの国で散々教会やミュージアムを訪れ、飽き始めていた私たちは、ウィーン滞在のほとんどの時間を買い物に割いた。

久々に買い物がしたい!!沢山の服に囲まれながら店内を何往復もしたいのだ。

抑えられない物欲を抱えた女二人が買い物に繰り出したらどうなるか、あとはご想像がつくだろう。こうして私のバックパックは日々順調に肉付きがよくなり、どんどん成長していくのであった。 

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夜になり、即席オペラ鑑賞スタイルを手に入れた私たちは、ルンルン気分でオペラ座に足を踏み入れた。やはりそこは歴史あるヨーロッパ建築。豪華絢爛、華美でありながらも上品さが漂い、大人の世界が広がっていた。そしてそこに集う人々もやはりその場に相応しい人々だった。係員のおじさんの言葉を鵜呑みにしなくてよかった。危うく大恥を掻くところであった。Tシャツ姿の人なんてどこにもいないではないか。

一通りオペラ座の中を見学した後、ワクワクしながらチケットに記載された席へと向かう。気分は良家のお嬢様。それなりに気取っていた。席に着くまでは・・・。

三階席の一番右端のボックスシートに辿り着き、記載された座席番号を何度も見直す。「んっ?!ここっ!?結構高い位置から見下ろすかんじか~。」「えっ、ちょっと待って...舞台が全く見えなくない!?」

いくら最安値のチケットとはいえ、友人も私もさすがに凍った。私たちの座席からはいくら身を乗り出しても舞台が一切見えないからである!!

こんな席を販売していいのだろうか・・・。安かろう悪かろうとはよく言うし、そりゃ貧乏バックパッカーが手に入れた安いチケットで、気品のある紳士淑女と同じ光景が見れるなんて、さすがにそんなおこがましいことは一ミリも思っていなかったけれどもさ。もうちょっとさ、こうチラっとでもさ・・・。この時点で良家のお嬢様モードは完全に終了した。

まあ仕方がない。でもここは本場のオペラ座よ?きっと何かすごい感動が起こるはず!と自分に言い聞かせ、淡い期待を胸に抱きおとなしく椅子に腰かける。

心を整え、しばらくするとオーケストラの生演奏が始まり、舞台が幕を開けた。(*注意*舞台が見えないのであくまでも想像)

オペラを鑑賞するために作られた建物。それがオペラ座。オーケストラの生演奏がホール全体に響き渡り、その優雅で甘美な管弦楽の音色にとろけてしまいそうになる。どこか違う世界にいざなわれそうだ。

「たとえ舞台上が見えなくたって、この音楽さえ聞こえれば最後まで楽しめるはず」舞台上で繰り広げられていることを想像するため、目を閉じた。女性オペラ歌手が登場し(*想像)美しいソプラノを響かせる。これはきっと悲恋の物語に違いない。こんなにも美しく切ない歌声があるだろうか。一気に物語の世界へと引き込まれていく。 

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(前の座席の人が席を立った瞬間を見計らって撮った写真。私たちの席からは前の人の後頭部しか見えなかった。)

しかし開始25分を経過した頃、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、私をまんまと違う世界へといざなった。そう睡魔の世界へと。

そして睡魔と戦う私にもう一人の私がしきりに話しかけてくる。

「しっかし、ドイツ語だから何言ってるんだかさっぱりわかんないな~」

「オーケストラは素晴らしいけど、知ってる曲が一曲も流れないな~」

「てか何時に終演だっけ...第三幕まででしょ?うっそ!あと3時間もあるじゃん!!」

「てかお腹空いたな~。こりゃ休憩時間に駅前のマックに直行だな!」

いくら即席オペラ鑑賞スタイルを手に入れたって、中身はただの貧乏バックパッカー。紳士淑女とは程遠い、邪念が次々頭の中に浮かび、明らかに私の集中力は限界へと近づいていた。

第一幕が終了し、待ちに待った休憩時間。空腹の私は駅前のカフェでパンを頬張りながら、恐る恐る友人の反応を探った。「ねぇ、どうだった?」という私の問いかけに友人は、「うーん・・・音だけだとかなり眠たいね・・・。」と言葉を濁しながらも私と同様退屈しているようだった。本当に情けない。わずか50分でこの有り様である。そしてある決断を下した。

 

第二幕が始まって10分ほど経過してから呑気にオペラ座に戻ってきた私たちに、当然ながら係員は「上演中なのでお席にはお戻りいただけません」と言うので「はい!TVルームで見ます!!」と笑顔で答え、係員の丁寧な誘導の下、TVルームへ。

煌びやかなオペラ座の中にこんな質素で、まるで市民館の待合室のようなスペースがあったなんて。そこに1つだけ置かれたTVの中で、私たちが先ほど必死に頭の中でストーリーを想像していたオペラが上演されている。

その部屋には、どういう事情かは知らないが、私たちと同じように脱落したと見られる人が数人いた。私は彼らを「同志」と心の中で呼ぶことにした。

TVの中では100人以上の演者が歌っている。これには驚いた。想像力の欠如とは言わせない。壇上に100人が上がっているなんてあの席から誰が想像できるだろうか。

多くてもせいぜい30人以上だと思っていた。

第二幕も佳境に近づくにつれ、展開が派手になっていく。

最初に登場した主役であろうソプラノの彼女が、恋敵と思われる性格の悪そうな女性にこてんぱんにいじめられている。100人の演者が取り巻く中、昼ドラもビックリな修羅場が繰り広げられていたのである。

おそらく、この演目は面白かったであろう。昼ドラチックな一幕を見ただけでそう思った。せめて事前に物語を予習しとくべきであった。ちゃんと楽しめなかったのは、もちろん座席問題が大きいけれど、準備不足な自分たちのせいでもある。

私にもいつの日か邪念と戦うことなく、オペラを鑑賞できる日は来るのだろうか。それにはもう少し修業が必要だ。

TV画面ですら飽き始めていた頃、いじめられていた主役の彼女が100人に囲まれながら派手に転倒したところで、第二幕が終了した。

それと同時に私と友人はお互いの目を見て大きく頷いた。

「もう帰ろう」

 こうして大人の階段を登り切れなかった私たちは、そそくさとオペラ座を後にし、翌朝バスでクロアチアに向かったのだった。

 

ベルリンの壁の向こう側

 巡礼者の街から飛び乗った飛行機は、フランスの上空を越えドイツの首都ベルリンに降り立った。「ありがとう」という言葉も「グラシアス」から「ダンケシェン」に変わり、街の様子もどこかのんびりしていたスペインに比べ、シャキっと整った雰囲気に変わる。

超先進国ドイツ。なぜだか今までこの国に特別な興味を抱いたことはなかった。

ここ数年、もっぱらアジアや中東を旅先に選んでいた。それは、エネルギッシュで混沌とした土地や、無秩序な環境の中で得られる刺激を求めていたからだ。

すなわち先進国は旅の選択肢から自然と外されていたし、ヨーロッパの中でもとりわけ質実剛健なイメージがあったドイツは、縁遠い国だった。

しかし、唯一行ってみたかった都市がある。ベルリンだ。

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 興味を持ったきっかけは、高校時代に見た「グッバイ、レーニン!」というドイツ映画。ベルリンの壁が崩壊し、東西が統合する中で変わっていくドイツ。時代に翻弄されながらも、それにうまく順応していくしかない庶民の姿をユーモアを交えながら、一人の青年とその家族の視点でコミカルに描いている。

それにしても映画の力はすごい。時代も国も性別も優に超えて、日本のちっぽけな女子高生に世界への好奇心の扉をこじ開けてくれるのだ。

今のドイツの世界的な立ち位置や、経済、社会を考えれば考えるほど、たった28年前まで東と西で国が分断されていたなんて、にわかには信じがたい。

20世紀の世界の歴史はベルリンに象徴されているという。

そんなベルリンをぜひ一度見てみたかったのだ。

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(東西ベルリンの境界に位置し、現在は東西ドイツ統合の象徴とされるブランデンブルク門。)

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(街の至るところに展示されている”ベルリンの壁”の欠片)

 さて、私は空港である友人と待ち合わせをしていた。専門学校時代の友人、ようちゃんである。

遡ること一ヶ月前、今の会社を辞めて転職することになったという彼女に「中欧ヨーロッパ一緒に周らない?」とお誘いしてみたのだ。

学生時代からフットワークが軽くて、行動力のある彼女からは、「行く!」と二つ返事が返ってきた。私より6つ年上のようちゃんは、読書量が豊富でとても物知り。当時高校を卒業したての私に色々なことを教えてくれた人だ。

そう言えば、旅人たちのバイブルである、沢木耕太郎の「深夜特急」を教えてくれたのも彼女だった。多くの人がそうであるように、私もこの小説に魅了され、いつしか長い旅に出ることを夢見るようになっていったのだった。

今日から約20日間、私たちはベルリンをスタート地点にゴールのクロアチアまで、駆け足だが一緒に中欧ヨーロッパを周る。学生時代、「いつか一緒に旅したいね」と何度も口にしていたから、今回の旅の実現は感慨深いものがある。

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ホロコーストで殺害されたユダヤ人犠牲者を追悼するための記念碑)

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(冷戦時、東側から西側へ壁を乗り越えようとして亡くなった方々を慰霊する十字架)

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(壁崩壊までの説明が書かれている。こういう説明書きが街に沢山ある。)

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(第二次大戦中に空爆されたカイザー・ヴィルヘルム記念教会。戦争の悲惨さを忘れることがないように、そのままの姿で保存されている。)

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(カイザー・ヴィルヘルム記念教会の隣に新しく建設された、近代的な教会。)

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旧東ドイツの象徴的な建物であるテレビ塔)

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(同じく旧東ドイツ時代の建物、世界時計)

第二次世界大戦時、ナチス政権の最後の戦場となったベルリンは、徹底的に破壊され、壊滅状態になったため古い建物が少ない。また、冷戦時代に東ドイツに建設されたソ連らしい近未来的な奇妙な建物も多く残っている。

細い路地や石造りの古い建物といった、いわゆるヨーロッパ的な街並みとは少し違い、新しい街という印象だ。

よく考えてみると私の好きな東京の街もやはり、戦後焼け野原から再建された新しい街であるということを思い出す。外国を通して自分の国を見つめ直すことは面白い。

それにしてもベルリンという街は、至るところに戦争慰霊碑や、モニュメント、メッセージ性の強いアートが点在している。戦争や近代史に関する資料館や博物館も非常に多く、この街がいかに歴史的な出来事の舞台となってきたかということが、歩いているだけで伝わってくる。

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(東西境界線上に置かれていた国境検問所、チェックポイント・チャーリー。実際存在した場所に再現されている。)

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戦時中に同盟国だった日本とドイツ。敗戦後、紆余曲折を経て、その後大きく経済成長を遂げた。今の日本とドイツに戦争の面影を見つけるのは正直言って難しい。

どちらも大きく発展し、成熟しきってしまったようにも思える。そういう意味では私たちは、表面上似たような境遇なのかもしれない。

ただ一つだけ大きく違うとしたら、この国は自分たちの負の歴史を「絶対に忘れない」という意思を、目に見える形で表明しているところだろうか。被害の歴史も、そして加害の歴史も両方だ。

たった二日間の滞在だったが、私はドイツの人々の歴史を受け止め、向き合う覚悟、そしてそこから学び、未来を築いていこうとする強い意志を感じた。

見たくないものを見ようとすること。それは70年前のように間違った道へ再び歩き出さないための一歩。そしてそれは、平和な未来に進むための一歩である。

私たちはどうだろう。満たされた時代に生まれ、自由で豊かな日本しか知らない若い世代の私たちは、この国が今の姿になるまでに歩んできた道というものを、やっぱり忘れてはいけないと思うのだ。良いことも悪いことも全部。

忘れないということは、決して後ろ向きな行動ではなく、前に進むための前向きな行動だと思うから。

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(壁が崩壊した後、世界各国のアーティストが絵を描いたイーストサイドギャラリー)

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ベルリンの壁の裏側で、シリア内戦に関する展示を行っていた。)

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ベルリンの壁が崩壊しても、世界には未だに沢山の壁がある。

例えばその壁は、イスラエルパレスチナ分離壁や、難民の前に立ちはだかる国境という目に見える壁だったりする。

けれど多くの壁は、宗教、文化、言語、環境、価値観の違いから生まれる、目には見えない壁だ。

世界各地でテロが相次ぐ中、新たに生まれる憎悪や偏見が、また新しい壁を作っていく。

今、ドイツは移民の増加が大きな社会問題になっているという。また、シリア内戦以降、多くの難民がバルカンルートを渡りドイツを目指し、中東の混乱が欧州へと派生していく。

安全でより良い暮らしがしたいと願う気持ちは、どんな国の人も同じはずだ。

誰だって何の不安も心配もなく、次の日が当たり前に訪れる場所で生きていきたいはずだ。

けれども違った思想や生活習慣を持つ人々が、同じ場所で共に生きていくことの難しさ。

グローバル化という言葉と比例して、世界はどんどん内向きになっている。どこの国も多分、自分たちのことで精いっぱいなのだ。

ベルリンの壁の向こう側には、また新しい壁があった。

 

無知から生まれる恐怖という壁は、目の前の相手を知ろうとする心がなければ壊せない。私はその壁を壊したいと思うから、知ることからはじめることにした。

そしてこの旅を「きれいなものだけを見る旅」にはしたくないと思った。

答えの出ないもの、胸がヒリヒリするような、そういうものを少しでも自分の目で見たい。そして考えたい。それが今、自分が一番したいことなのだとわかったから。

ドイツからスタートした中欧ヨーロッパ、旧ユーゴスラビアをはじめとするバルカン諸国を巡る旅で、私は今の世界情勢を投影する出来事にいくつか遭遇した。

自分の目で見たものはもう、テレビの中の世界でも、教科書の中の世界でもない。

紛れもなく、そこに存在する事実なのだ。

ようこそ!巡礼の街へ!

 

陸路で国境を越えること。

それは我々島国で生まれた者にとって、ロマンを掻き立てられる行動。

私は前からずっと、それを経験する日を待ちわびていた。

そう、私はこの日初めて国境をバスで渡った。

ポルトガル滞在を終え、スペインのガリシア地方へ行くために。

「国境なんて所詮、人間が勝手に作ったもの」

そんなジョン・レノンのイマジンのようなことが頭に浮かび、

車窓から見える景色に胸が熱くなる自分を想像していた。

 

しかし現実は、胸が熱くなるどころか、あまりのあっけなさに言葉を失ったのだった。

そう、この区間シェンゲン協定で結ばれているため、入国審査がない。

したがって、どこまでが"ポルトガル"でどこからが"スペイン"なのか気づかぬまま、目的地に到着していたのである。

このあっけなさは、首都高で東京都から千葉県に入った時と同じ。

いやいや、千葉県に入った瞬間にカーナビが「千葉県に入りました」と

丁寧に教えてくれるから、まだこちらの方が実感できるだろう。

国境とは私たち島国の人間には想像できぬほどにすぐそこに存在するものだった。

 

多分、ジョン・レノンは正しい。「国境なんて所詮、人間が作ったもの」

人間が作ったこの国境があることで衝突や争いが生まれるし、この国境があることで保たれている平和があることも事実だ。

その後、旅のルートを大きく変更してバルカン諸国を旅することになり、「国境とは、民族とは」と何度も問いかけられることになるのだが、この時の私はまだボンヤリとしていた。

 

さて、今回スペインに舞い戻ってきた目的はただ一つ。旅の師匠である高校の恩師に勧められた「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に行くために。

そして、今回はいつもの観光とは少し違う。

それは、ロンドンの語学学校で知り合ったスペイン人の青年が、この街に住んでいるということ。

2日前に突然そのことを思い出し、連絡してみると「よかったらぜひ街を案内します」と快く言ってくれたのだ。

現地に住む人に街を案内してもらうことは、ローカルの生活を知れる良い機会なので本当にありがたく、また心強い。

おまけにバス停まで迎えに来てくれて、宿まで連れて行ってくれるというのだから、頭が下がりっぱなしだ。

友人の名は、フラン。19歳の大学生でこの街の出身。会った時はちょうど大学の夏休み中だった。薬学を専攻している彼は、穏やかで優しい真面目な好青年。 

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(彼の通う大学はスペインでも有数の歴史ある名門大学。将来の夢は研究者!)

ちなみにこの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」は、キリスト教の巡礼路の終着地でもあり、フランスの国境から沢山の巡礼者たちがこの場所を目指して、全長約800㎞の道を歩く、巡礼の道のゴールという神聖な場所なのだ。

私のような怠け者は、もちろん800㎞なんて歩けるわけもなく、しかしせっかくここに来たのなら巡礼者気分を味わってみたい!というミーハーな乙女心(?)を満たしてくれる場所を見つけた。

”アルベルゲ”という巡礼者宿である。(巡礼者じゃなくても宿泊可)

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(昔、修道院として使用されていたという立派な建物。今は巡礼宿になっている)

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 (心の中で「サナトリウム」と呼んでいたドミトリー。清潔で快適だった。)

 さて、荷物を下ろしフランの案内の下、旧市街散策を開始。

1985年にユネスコ世界遺産に登録された旧市街は、誰もが崇高な小説の主人公になったような気分になれる趣のある街並み。

アンダルシア地方や、マドリードで感じた「情熱の国、スペイン」のイメージとは少しかけ離れている。

スペインと一口に言っても本当に地域ごとにそれぞれ違う顔を持っている。

数年前に独立か否かで話題になったカタルーニャ地方のように、ここガリシア地方もガリシア語と言う独自の言語を持っていて、フランは家族とはガリシア語で会話するという。

ポルトガルの近くに位置することもあり、ポルトガル語に似た言語らしい。

生まれながらにしてバイリンガルとは、何ともかっこいいではないか。

しばらくすると、巨大なカテドラルと沢山の巡礼者たちが私たちの前に現れた。

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 初めはその巨大さに圧倒されたが、しばらく見上げているうちに肩の力が抜けて妙な安らぎを感じ始めていることに気づく。これは一体何なのだろうか。

巡礼をしていない私ですらこんな気分になるのだから、800㎞の道のりをひたすら歩いてきた巡礼者たちの達成感は計り知れないだろう。

ある者は歓声を上げて仲間と喜びを分かち合い、ある者は静かに床に寝そべり、これまでの旅路に思いを馳せているのだろうか、恍惚とした表情でカテドラルを見上げている。

平和な夏の日曜日の午後である。

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カテドラルの内部を見学した後、フランは新市街、そして彼の大学のキャンパス周辺までも案内してくれた。

歩きながら色々な話しているうちに、話題はお互いの国の飲食店の話へ。

私は、居酒屋にあるタッチパネルや、ファミレスの呼び出しボタンのことなど、自分が海外を旅する中で合理的すぎると思った物の話をした。

「やっぱり日本はテクノロジーの国だね!」と興味示したので、他に何か面白いものはないかなーと思い、回転寿司の話をしてみた。

すると「それ知ってる!しんちゃんで見たことある!」と言う。

「えっ、しんちゃんって誰!?....。まさかクレヨンしんちゃんのこと!?」と聞くと「そう!」と言うではないか。

驚いた。しんちゃん....あなたいつの間に海を渡っていたのね.....ごめん、知らなかったわ。。。

おそらく彼は、しんちゃんがみさえやひろしと一緒に回転寿司を訪れるシーンをテレビで見たのだろう。

それにしても”クレヨンしんちゃん”の名前をこの場所で耳にするとは思わなかった。

ちなみに、日本では教育上悪いと言って子供にこのアニメを視聴させたがらない親もいると話すと、「スペインでは全然問題ないよ~!!」とのこと。まさかの尻出しOKらしい。

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(アヒルに注意の看板があるくらい平和な街)

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(フランが勉強する薬学部のキャンパス。只今、絶賛夏休み中)

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 (大学周辺には”アパートの部屋貸します”という広告でいっぱい)

一通り街歩きが終わったところで、彼の幼馴染たちと合流することに。

類は友を呼ぶという言葉は正しく、皆とても感じの良い爽やかな若者たちだった。

さて、彼らと合流して早々に「夜ご飯は何を食べたいか」と聞かれ、私は悩む。

ガリシア地方の料理はお昼に連れてってもらったし、、、皆が普段よく行く場所がいいな!」とリクエストすると彼らは、少し困惑しながら「そうするとマクドナルドか、バーガーキングになっちゃうんだけど・・・。」と言うので「よし!バーガーキングに連れてって!!」とお願いした。

金欠なのは、どの国の学生も一緒。彼らはお店に着くなりスマホを取り出し、慣れた手つきでクーポンをチェックし始める。

これぞローカルの学生生活だ!とテンションがあがるのと同時に、夜遅くに友達とファストフード店に集まってダラダラおしゃべりする、あの夏休みの何とも言えないワクワク感を思い出したりなんかして。

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 (バーガーキングサンティアゴ・デ・コンポステーラ店(多分)でパシャリ!)

4人はよく、誰かの家に集まって映画を見たり、お母さんお手製のピザを食べたりするそうだ。そこには気取らない、飾らない、子供時代のままの空気が流れているのだろうな。

幼馴染の1人であるロシオは、スタジオジブリ好きで日本のカルチャーにとても興味がある子だった。

つい最近、どうしても見たいと言う彼女の要望で「ハウルの動く城」を鑑賞したそうだが、他の3人が関係のないシーンで笑ったり、ツッコみを入れたりするので彼女はご立腹だったそう。

同じジブリ好きとしては、この状況に同情してしまうけれども、幼馴染と映画鑑賞会だなんて微笑ましいし、懐かしい。

会話の節々から4人の仲の良さが窺えて、こちらまで思わずニコニコしてしまう。

なんだか私も無性に幼馴染に会いたくなってきた。年末に会えるだろうか。

突然の訪問にも関わらず、親切にしてくれたフラン、そしてみんな、楽しい時間をどうもありがとう!!!

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素敵な若者たちと別れた翌日、1人で再びカテドラルを訪れた。

ボーっと椅子に腰かけていたら、いつの間にかスペイン語のミサが始まり、身動きが取れなくなってしまったので見様見真似で参加した。

私は特別な宗教観はないし、何かに当てはめろと言われたら「仏教徒ですかね」程度の人間であるが、だからこそどんな宗教であっても人が真剣に祈る姿はとても美しいと思っている。

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讃美歌を歌う人々の中で、この場所で感じる安らぎの源は、このカテドラルが持っている包容力なんだと気づく。

数百年以上も前からずっと沢山の人々を迎え入れてきた。

もちろん善人ばかりじゃないだろう。人はそれぞれ色々な事情を抱えているし、すがるような気持ちでここを訪れた人も数知れないと思う。

傷だらけになりながらも、ここまで辿り着いた巡礼者たちを迎える懐の深さ、訪れる人々を母のような大きな優しさで包み込む力を持っている。

美しいけれど、決して近寄りがたいわけじゃない。決して威圧したりなどしない。

いつもそこにどっしりと腰を据えて、微笑んでいるイメージだ。

このカテドラルは見た目は随分と上品だけど、メンタルは肝っ玉かあさんに通ずるものがあるのかもしれない。

 

夕暮れ時にもう一度ここの前を通った時、ふと「気を付けて旅しなさい。そしていつかまたここに戻ってらっしゃい」そう言われたような気がした。

この声が本物なら、多分私はまたここに戻ってくるだろう。 

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