彷徨う旅人
数ある好きな映画の一つに「オズの魔法使い」がある。
虹の彼方に自分が望む世界があると思っていた主人公ドロシーが、オズの魔法の国での大冒険を経て、”There's no place like home”つまり「我が家に勝る所なし」と気づき成長する物語だ。
ルビー色の靴のかかとを三回鳴らしながら「There's no place like home」と呪文のようにドロシーが呟くこの台詞が、旅する今とても胸に響いている。
新しい世界を知り、そしてそれを通して元々居た世界の良さを再発見できるというのも旅の魅力の一つではないだろうか。
24年間の中で培った大切なものの殆どが日本にあり、そのすべてに感謝したくなるほど、今故郷が輝いて見える。
だがしかし、長く旅をすればするほど「住めば都」という言葉にも共感を覚えていく。
初めは知らない土地でも長く時を過ごせば居心地が良くなっていく。
どの国もそれぞれ良さがあり、また欠点がある。それは世界的に見て恵まれている日本だって同じだ。
どんな場所でも仕事を持ったり、学校へ行ったりと日々のやるべきことができて、言葉を習得したり、文化や習慣を覚えたり、また友達ができたり恋人ができたり、その結果家族ができたりなんかもすれば、色々な障害があったとしても多分どんな国もその人の生きていく場所へと変わっていく。
「住めば都」という言葉には利便性という意味だけではなく、人が人に求められることによって生まれる、精神的な居心地の良さみたいなニュアンスも含まれているのではないだろうか。
つまり自分を必要としてくれる人がいる場所が、自分の居場所になっていく。
だから今の私は、帰りを待っていてくれる人たちがいる日本が居場所だ。
しかし、同じ旅をしていても人それぞれ事情は違う。
「戻る場所はここだ」と気づいた私がいるとするならば、「戻る場所はないから探しに出た」という人もいる。
旧ユーゴスラビアの小国、マケドニアで私が出会った不思議な旅人はそんな人だった。
世界一奇妙な街という噂を聞きつけ訪れた首都のスコピエ。
観光招致目的に建てられた、社会主義風の奇妙な銅像が数十メートル置きに建ち並ぶ街並みは一言で言えば「異様」だ。
そして変な銅像を見て笑うのが好きな私としてはマストな都市なのだ。
旧ユーゴスラビアから、周辺国が次々と武力衝突で独立したり、内戦に突入する中、このとき唯一完全無血の独立を果たした国がマケドニアだそうだ。
内戦の傷跡が深く残るボスニアや、また現在もセルビアと緊張状態にあるコソヴォを訪れた後で、精神的にどこか張りつめた気分だった私をリラックスさせるような平和な空気がそこには流れていた。
この日もいつものように最安値の宿にチェックイン。
すると突然「日本人ですか?」と流暢な日本語で話しかけてきたのは、50代後半くらいの韓国人のおじさんだった。
その人は昔日本で仕事をしていたらしく、驚くほど日本語が堪能だった。
「長く旅しているんですか?学生さんですか?」と聞くので 「いいえ、仕事を辞めて旅しています。」と答えた。
するとその人は異常なくらい大袈裟に驚き、「ええー!仕事辞めたんですか?!すごいな~私だったら絶対仕事は辞めないですねぇ」と言い放った。
そして畳み掛けるように「仕事を辞めて旅だなんて私にはできないな~。なんで辞めたんですか?」と言われた時、私はこの人の言葉の裏に隠されているものに気づいた。
仕事を辞めて旅する人なんて今の世の中、日本にも韓国にも沢山いる。
現に道中で沢山の韓国人長期旅行者に出会ってきた。だからこの人がこんなにもわざとらしい反応をするのは、賞賛と見せかけた皮肉と嫌味である。
つまり「頭を使えばいくらでも仕事をしながら旅くらいできますよー 」「そんな不安定な選択をするなんてバカなんじゃないですか?」とでも言いたいのだろう。
たしかにパソコンとネット環境さえあれば仕事ができる21世紀。人によってはそんなことも可能なのだろう。
少しイラっとしながらも「そうですね~。ずっと夢だったのでお金を貯めて辞めました~。」と笑顔で大人な対応。
「それにまだこの年齢なら再就職もできると思ったので。」としらっと付け加えてみたりして。
しかしこの人は懲りずに「すごいな~、私なら絶対辞めないですね~」としつこく言ってくるではないか。
何なんだ一体・・・。出会って15分も満たない正体不明のその人に対し、頭の中でブチッと何かが切れる音がした。
*注意*あくまでも心の声です。
「あのさー、さっきからなんだかとっても偉そうだけどあんた一体何者なわけ?
無職で旅するなんて怖くてできないって言うけれど、じゃあそういうあんたは一体どんな財テクを持っているわけ?!えっ?聞かせてもらおうじゃないの!!
なになに株式投資?それとも今流行りのアフィリエイトですか?それとも不動産を所有して家賃収入かなー?
それともどっかの社長さんだかなんだかで、優雅に第二の人生を謳歌中ってとこっすか?
散々旅行に行き尽くした結果、行く場所が無くなったからマケドニアにでも行ってみるか!ってことっすかねぇ?
だったらわざわざこんな安宿に泊まらなくても、星が四つでも五つでも付いてるホテルに泊まりゃーいいじゃねえの!!
こんな安宿で若者に絡んだって得なんか一個も無いっすよ?つーかそんなことくらいわかるよねぇ?・・・・。」
はぁ・・・・。普段は潜ませているちょっぴりヤンキーモードな私が今にもメンチを切りそうだ。MK5!!マジでキレる5秒前だぜ!!
しかし敵は想像以上に手強かった。5秒も経たぬうちに「ちょっと失礼します」と言って席を立つとオンラインで韓国語を教え始めたのだ。
おじさんは日本語以上に流暢な英語を駆使し、淡々とレッスンをスタートさせた。
しかも何やらこの人、スペイン語も中国語も話せるらしい。ますます謎は深まるばかりである。
しかし偉かろうが凄かろうが、媚びを売る気は全くない。
だからこの一癖も二癖もある謎のおじさんとは、その後宿で遭遇しても距離を置いていた。
(面白かったマケドニア映画「レボリューション・オブ・スコピエ」もう一度見たい)
(ロンドン名物の二階建てバスも走っちゃってる奇妙な街。)
(テーマは多分「親子愛」かな・・・。)
しかしスコピエ最終日、私は敵の本当の姿を知ることとなる。
宿に戻るとおじさんが夕飯の支度にとりかかろうとしていた。私は適当に挨拶し、椅子に腰かけた。
するとスーパーのレジ袋いっぱいに詰め込まれた食材の中からお米を取り出し、嬉しそうに懐かしそうに「やっぱりお米が恋しくなりますね~」と私に向かって微笑んだのだ。
それはお米を主食とする者同士だからこそ分かり合える瞬間だった。
どんなに抵抗したって、故郷の味は細胞レベルで体にも心にも染み込んでいる。
その幸せそうな表情を見た時、あんなに苦手だと思っていたこの人がなぜだか急に愛おしく思えてきたのだ。
お米をこれだけ大切に幸せそうに扱う人に悪い人はいないんじゃないかという錯覚に陥ったのかもしれない。私の中にこんなにもお米愛が強くあったとは・・・。
よく考えたら私はまだこの人のことを何も知らない。
どうして旅をしているのか、向こうには聞かれたのにこちらは聞こうともしなかった。憶測だけ立てて本当のことは何一つ知ろうとしなかった。
だから試しに「おじさんはどのくらい旅をしているんですか?」と尋ねてみたのだ。
すると「私のはもう旅ではないんです。旅はもう全部しました。」とよくわからない回答が返ってきた。
6年前に韓国を離れたおじさんは、今日まで一度も国に帰らずに旅を続けているというのだ。そして途中からそれは旅行ではなく、安住の地探しへと変化していったそうだ。
どこか物価の安い国でビジネスをし、生計を立てて暮らせる国を探しているのだという。
インドや東南アジアは衛生面や気候の面でNG。物価が安ければどこでも良いというわけではないところが、ネックになっているようだった。
話すうちにおじさんのバックグラウンドも見えてきた。
若い頃に中国やアメリカ、日本で仕事していたことがあったり、韓国でやっていたビジネスに失敗し借金を抱えたり、また成功しお金持ちになったり、奥さんや周りの人々に裏切られ人間不信に陥った過去があったりと波乱万丈。話を断片的に聞いただけでも苦労人であることが窺えた。
人生の酸いも甘いも経験し、今は色んなことから自ら遠ざかろうとしているように見えた。
金融関係に詳しかったり、語学が堪能だったりと沢山努力してきた人なのだろう。今もその知識や能力を駆使し、収入を得ては節約しながら生活しているわけだ。
その知恵と努力を素直に尊敬した。
6年も帰らず家族や友人に会いたくなったり、寂しくなったりしないのかと聞くと、「うーん、そりゃ時々は寂しいと思うことはありますけど、それでも帰りたくないんです。人間何度も裏切られたりすれば、いくら自分の国でも嫌いになってしまうんですよ。」と言った。
答えはなんとなく予測できたのにこんな質問をしたのは、この人へのちょっとした仕返しのつもりだったけど、なんだか胸が痛んだ。
しばらく話をした後、おじさんが「あなたは大丈夫。まだ若いからこれから日本でも外国でも働こうと思えばどこでもまた働けますよ。でも私みたいなおじさんは、もうどこに行ってもいらないって言われちゃうんです。だからもう自分でやっていくしかないんです。」と言った。その言葉からはどこか諦めのようなものを感じる。
心のどこかでは、安住の地なんて見つからないと思っているかもしれない。
何せ6年間だ。もう帰る場所はどこにも無いと言う。だから探し続けるしかない。
けれど終わりが見えない中を彷徨うのは、それはとても孤独な旅だ。
旅は刺激の連続だ。毎日新しい人と出会い、知らない場所に行き、何かを知ったような気になれる。
飽きたら新しい場所に行けばいい。関わりたい時だけ人と関わればいい。
その国の国民ではないのだから、見たいものだけ都合よく見て、見たくないものは見なくたって許される。
明日の仕事のことを考えて早寝しなくたっていい。好きなものを好きな時間に食べて、好きな時間に起きる。何をするにも自由気ままで縛られるものは何もない。
誰も私のことを知らないし、誰にも文句は言われない。
けれどその自由と引き換えに、今の私には心の底からくつろげる家も無ければ、おやすみと言ってくれる家族もいない。体調を崩せば、このまま死ぬんじゃないかと思うほど心細いし、胸を張れる仕事も無ければ、遊びに誘ってくれる友人もいない。
どこにも所在がないというのは、究極の自由であり、また孤独でもある。
それでも今この生活を楽しいと思えるのは、それはあくまでも時間とお金に限りのある非日常だからだ。
責任もなければ、守るものもないこの非日常が日常に変わったら、きっとそれはどこか宙ぶらりんな人生だ。
旅先で交わす「いつかまたどこかで会おう」という約束はドラマチックだけれども、「来週飲みに行かない?」と気軽に言い合える日常の尊さを旅に出て初めて知った。
「来年こそは絶対決めますよ!もう7年目になりますからね、いい加減決めないと!」とおじさんは自分に言い聞かせるかのように言った。
だから私も「ねぇモンテネグロはどうですか?あそこは治安もいいし、自然豊かで街もきれいだし。ユーロだけど物価は安めだし!」と提案した。
「モンテネグロ!たしかにあそこはいいですねー!でもな~やっぱりまだまだ高いですよ~」と言ったけれどその表情はどこか少し嬉しそうだ。
ひょっとすると道中、このおじさんとまともに関わろうとしてきた人は少ないのかもしれない。
確かに気難しくてちょっとめんどくさいタイプの人だ。
けれども時にそのめんどくささに踏み込んでみたら、面白いことが起きることもある。
敵だと思っていた人が案外自分に似ていたり、憎めない奴だったり、本当は優しい人だったりするからだ。人間臭さの塊みたいな人、私は好きだ。
「モンテネグロは高いですよ~!」とおじさんは何度も何度も繰り返している。
必要以上に人のことを詮索しようとするのも、それは誰かにも自分に踏み込んできて欲しいからだ。
人をちょっと見下したような変な絡み方しかできないのも、寂しさの裏返しと不器用さの表れだ。
人と深く関わらないって言ったって、一人で生きていけると言ったって、やっぱり本当の独りぼっちは寂しい。
そう思ったら、何度も何度もしつこくモンテネグロの話を蒸し返すこの人を無下にはできなかった。
「昨日の敵は今日の友」なのか?私はおじさんの友ではないけれど、通りすがりの旅人として、この不思議な旅人が今年こそ安住の地を見つけ、新しい人生をスタートできることを心の底から祈っている。
「There's no place like home」と思わず心の中で呟いてしまうような、そんな場所を。