西へ向かう人、東へ向かう人
「知らない所へ放り出されてしまった」そんな高揚感と恐怖が入り混じった感情は一人旅の醍醐味なのだろうか。
旅に出たいという尽きることのない欲はある種の病だ。
丸い地球の水平線に何かがきっと待っている・・・。そんなひょっこりひょうたん島のような好奇心と、未知との遭遇への一抹の不安。
場数を踏んだ分だけ胃腸の免疫力と同様に旅の免疫力はつき、人は更なる刺激を求め知らない土地を目指すのだろう。
サラエボから出発したバスが到着した先は、かつてユーゴスラビア連邦の首都であったセルビアのベオグラード。
この日いつになく私は緊張していた。それは何故か。
バスの車窓から異常に長い行列ができているのを目にしたからである。
公園にできた行列に並ぶのは、浅黒い肌に彫の深い濃い顔立ちをした細身の男たち。ぱっと見ただけでも100人以上いるだろうか。
スラブ系民族であるセルビア人ではない、どこからかやってきた人々。
違和感のある光景から漂うのは決して幸福なものではなく、切迫したものだった。
異様な現場に不安を覚えながら宿へと急ぐ。日が沈みかけていることも私の不安を駆りたてる。
行列の正体はなんとなくわかっていた。「もしかしたら彼らはシリア難民なのかもしれない」と。
到着した安宿のドミトリーにアフロヘアーの大柄なアフリカ系男性が寝そべっていた。東欧でアフリカ系の旅人と出会うのは初めて。おそらく彼はフランスかイギリスから来たのだろうと予想し「どこから来たの?」と尋ねると彼は低い声で「I from Cuba」と言った。
セルビアでキューバ人!?予想が大きく外れ、頭の中で無数のクエスチョンマークが踊り出す。そもそもキューバは海外渡航が簡単にできないため、国外でキューバ人に出会うことは大変珍しい。亡命者が多く住むアメリカならまだしも、ここは東欧のセルビアだ。
一年前にキューバを旅行した私は、目の前の珍しい旅人をたちまち質問攻めにした。
キューバ第二の都市、サンティアゴ・デ・クーバ出身のジョーは、4年前からヨーロッパを転々としているらしく、つまりは亡命したようだった。少なくともあと6年は故郷に帰れないという。
最近までサラエボのメキシカンレストランで1年間働き、その前はオランダに数年間。今回はベオグラードで仕事とアパートが決まるまで、この宿に滞在する予定だという。
料理人と名乗ってはいるものの、労働ビザを持っているようには見えず、おそらく不法労働をしながら生計を立てているようだった。
とても40歳には見えない若々しい容姿は、ジャズトランぺッターと言われても信じてしまうような抜け感のある洒落た雰囲気で、さすがキューバ人だと小さく唸る。
彼らのずば抜けたセンスはDNAに組み込まれているとしか思えないからだ。
ジョーは私が世界中を一人旅していると知ると「君の話を聞かせてくれ!」と喜んだ。私たちは興味のある国や見たいものが似ていたため、すぐに意気投合。
今まで食べたにゲテモノの話を皮切りに、旅の話に花が咲く。
大きな目をギラギラさせながら「多くの人はパリやローマに行くけれど、全然興味がない。観光地化された所じゃなくてもっと普通の市民の生活が見たい。ここみたいに外国人の少ない国や変わった国のね。いつかイスラエルと北朝鮮に行ってみたい。あの特殊な国の人々がどうやって暮らしているのかを見てみたいんだ。」と熱弁するジョーに大きく頷いた。
そして一年前、オールドハバナの安宿の窓から見下ろした景色こそ、紛れもなく特殊な国で生きる普通の人々の日常風景だったと思い出す。
21世紀の数ない社会主義国家キューバは、皆が等しく貧しい国。
革命がもたらしたのは、飢え死にすることも億万長者になることもない究極の平等。教育も医療も全て無償、職業格差や人種差別のない社会は表面的に見れば理想的でもある。
しかし音楽と踊りに溢れる常夏の国の明るさの影には、万年の物資不足やインフラの遅れが潜む。
また厳格な共産主義国家のこの国では、最近まで一般市民がインターネットを利用することもできなかった。すなわち情報鎖国のようなものだ。
当然自由な国外渡航は難しく、そもそも20ドル程度の月給では夢のまた夢である。
私は陽気にのんびり生きるキューバの人々をむしろ自分たちよりもはるかに豊かなのかもしれないと感じることも多かったが、外の世界を見るチャンスのない一生は、ジョーのように好奇心溢れる人間にとって残酷でもある。
ジョーはアメリカとの国交回復や、昨今のキューバの変化についても「結局政治が変わらなければ、庶民の生活は何も変わらない」と母国に対して辛辣だった。
彼が亡命した理由は出稼ぎなのか、自由を求めてなのか、はたまたその両方なのかはわからないが、どちらにせよ人生を懸けた大きすぎる決断の末に至る今なのだろう。
それに引き換え、特別なスキルや能力もなく、大きな覚悟を背負うこともない、好奇心だけで簡単に国外に出ることのできる自分がとてつもなく呑気な存在に思えたのだった。
そしてふと、さっき目にした行列のことを思い出す。「ベオグラード駅の近くで長い行列を見たんだけど、あれってもしかしてシリア難民?」と尋ねるとジョーは「Yes」と言った。
翌日どうしても気になり、もう一度ベオグラード駅周辺へと向かった。
17歳くらいの青年たちがゴミ箱を漁る姿や、道の脇に薄汚れたマットレスを敷いて眠る男性の姿。立体駐車場を寝床にして生活する人々。
駅に近づくにつれ、やるせない場面が視界に飛び込んでくる。
昨日私が見たのは炊き出しに並ぶ行列だったのだろう。数名の男性がベンチで眠っているだけで、公園は閑散としていた。
沢山の人が行き交う駅前で、彼らの存在はどこか現実味を帯びていなくて、けれども紛れもなく現実であった。
夏が終わり、これから長く厳しい冬がやって来る。今以上に過酷な暮らしが待っていることは容易に想像がつく。彼らはどうなってしまうのだろうか。
駅の周辺を歩いて気づいたことは、見かけるのは男性ばかりで女性や子供はどこにもいないということだ。疑問に思い周辺の路地を散策してみることにした。
しばらく歩いているとヒジャブをまとった女性や小さな子供が歩いている姿を見つけ、後をついていく。
すると難民支援センターのような施設があり、施設の職員らしき人と遊ぶ小さな子供たちが見えた。
知らない土地で明るい未来が見えない中、それでも子供が子供らしく笑う声と彼らに手を差し伸べる人がいることにささやかな安堵を覚えるのだった。
旅に出る前、バルカンルートと呼ばれるルートを辿り、大勢の難民たちがドイツへ向かう映像を毎日のようにテレビで見る時期があった。
しかし私が訪れた2016年当時、セルビアと隣国ハンガリーの国境は封鎖され、西を目指す多くの難民たちはそれ以上進めず身動きがとれない状況であった。
西ヨーロッパを目指す人々は、経済的に豊かとは言い難い東欧のセルビアで難民申請せず、いつ開くかわからない国境の再開を待っていたのだ。
このとき既にハンガリーを訪れていた私は、文化も宗教も大きく異なり、また決して裕福とは言えないハンガリーがこれ以上難民を受け入れないための措置を取ったことは、仕方がないことだと感じていた。
だからその後の国民投票で難民の受け入れ反対が98%だったことも、驚きはしなかった。ハンガリーの人々の決断を誰も批判することはできない。
ただ道徳心や同情心だけでは何も解決できないとわかっていても、実際に路頭に迷う彼らを見たとき、打ちのめされてしまった。
なぜなら多くの難民が目指すルートは、私がドイツから今日まで辿ってきたルートであり、これから私が目指すルートは彼らが辿ってきたルートでもあるからだ。
ヨーロッパからトルコに入り、ヨルダン、イスラエル、そしてイランと中東エリアに突入する私は、彼らの故郷にどんどん近づいていく。
安全でより良い暮らしを求め西へ向かう人々、好奇心と刺激を求め東へ向かう私。
同じ時代を生きているはずなのに、彼らと私では何が違うというのだろうか。
世界はあまりにも不公平で理不尽だ。
けれど私が一番憤りを感じるのは、同情したり胸を痛めても結局は何もせずにただ通り過ぎていく自分自身なのかもしれない。
ジャーナリストの真似事のような気分で近づいても、結局ただの傍観者でしかない自分。
果たして私にできることはあるのだろうか。考えれば考えるほど無力さが浮き彫りになるけれど、あるとすればそれは何か。
それは彼らの存在を自分の知っている世界から消し去らずに生きていくことなのかもしれない。一度は交差した私と彼らの人生。
彼らを無かったことにはしない。そして世界中で起こる様々な出来事の蚊帳の外で生きていてはいけないのだと強く思った。
【国会議事堂前に掲げられた旧ユーゴ内戦の犠牲者のポスター】
宿に戻るとジョーがいた。街で私を見かけたが、名前を忘れて呼び止められなかったらしい。全然気が付かなかった。
実は大きな目をギョロギョロと動かし、身振り手振り喋る姿がコントをしている時の香取慎吾にそっくりで、私は笑いを必死に堪えながらも最終日に写真を撮らせてもらおうと企んでいたのだ。
「あなたに似ているスーパースターが日本にいるの!」と言うと「冗談だろ?どうやったら日本人が俺に似るんだ!」と言うので画像を見せると「全然似てない!」と大笑いだったけれど、ポージングを真似してノリノリで写真を撮らせてくれた。
とびきりのキューバンスマイルは周りの人を幸せにする。
しかし私が明日スロヴェニアに行くことを告げると「クソッ!スロヴェニアなんか大っ嫌いだ」と突然顔をしかめた。
どうやらヨーロッパ各地を転々とする中、入国したスロヴェニアでビザだかパスポートだかに不備があったらしく1ヶ月間投獄された過去があるらしい。
だから彼にとっては苦い思い出のある国だったのだ。
一見のらりくらりと明るく渡り歩いているように見えるけれど、この笑顔の裏にはきっと私には想像もつかないような体験や悔しい思いを沢山してきているのだろう。
彼が果たして今幸せなのかも私にはわからない。
ジョーのバックグラウンドはやはり謎に包まれていて、これ以上深く探ることは気が引けた。
私はセルビアという小さな国で、自分の生まれ故郷から遠ざかり簡単には戻ることができない人々に出会った。
駅前で寝起きし、いつ開くかわからない国境が開くのを待っているシリアやアフガニスタンの人々も、亡命という形で国を出てヨーロッパを移動するキューバ人のジョーも、大きな決断をし、決して後戻りできないという側面では似ているのかもしれない。
人は生まれる国を選べない。生まれてくる時代を選ぶこともできない。
「だからそれはその人の運命なんです」と言ってしまえばその通りかもしれない。
この旅の中で「日本に生まれてよかった」と何度もそう思ってきた。
けれど果たしてそれだけでいいのだろうか?「日本に生まれてよかった」で完結していいのだろうか。私はいつも葛藤する。
「おー!今夜セントラルのクラブでサルサナイトが開催されるらしい!一緒に行こうよ!」とジョーに誘われたが、タイミングが悪すぎた。
既に寝る支度をしていたし、私は明日の早朝のバスで彼の大嫌いなスロヴェニアへと向かうのだ。
皆それぞれ色々な事情を抱えて生きている。笑えないことも沢山あるけれど、どうか今夜くらいは全て忘れて、華麗なステップでベオグラードの夜を鮮やかなキューバンナイトに変えてほしい。
ダンスフロア中が轟くような情熱的なサルサと、とびきりのキューバンスマイルを。
そしてもう二度と会えないであろうこの陽気なルームメイトが、どこかで幸せに生きていくことを願うのだった。