ようこそ!巡礼の街へ!
陸路で国境を越えること。
それは我々島国で生まれた者にとって、ロマンを掻き立てられる行動。
私は前からずっと、それを経験する日を待ちわびていた。
そう、私はこの日初めて国境をバスで渡った。
「国境なんて所詮、人間が勝手に作ったもの」
そんなジョン・レノンのイマジンのようなことが頭に浮かび、
車窓から見える景色に胸が熱くなる自分を想像していた。
しかし現実は、胸が熱くなるどころか、あまりのあっけなさに言葉を失ったのだった。
そう、この区間はシェンゲン協定で結ばれているため、入国審査がない。
したがって、どこまでが"ポルトガル"でどこからが"スペイン"なのか気づかぬまま、目的地に到着していたのである。
このあっけなさは、首都高で東京都から千葉県に入った時と同じ。
いやいや、千葉県に入った瞬間にカーナビが「千葉県に入りました」と
丁寧に教えてくれるから、まだこちらの方が実感できるだろう。
国境とは私たち島国の人間には想像できぬほどにすぐそこに存在するものだった。
多分、ジョン・レノンは正しい。「国境なんて所詮、人間が作ったもの」
人間が作ったこの国境があることで衝突や争いが生まれるし、この国境があることで保たれている平和があることも事実だ。
その後、旅のルートを大きく変更してバルカン諸国を旅することになり、「国境とは、民族とは」と何度も問いかけられることになるのだが、この時の私はまだボンヤリとしていた。
さて、今回スペインに舞い戻ってきた目的はただ一つ。旅の師匠である高校の恩師に勧められた「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に行くために。
そして、今回はいつもの観光とは少し違う。
それは、ロンドンの語学学校で知り合ったスペイン人の青年が、この街に住んでいるということ。
2日前に突然そのことを思い出し、連絡してみると「よかったらぜひ街を案内します」と快く言ってくれたのだ。
現地に住む人に街を案内してもらうことは、ローカルの生活を知れる良い機会なので本当にありがたく、また心強い。
おまけにバス停まで迎えに来てくれて、宿まで連れて行ってくれるというのだから、頭が下がりっぱなしだ。
友人の名は、フラン。19歳の大学生でこの街の出身。会った時はちょうど大学の夏休み中だった。薬学を専攻している彼は、穏やかで優しい真面目な好青年。
(彼の通う大学はスペインでも有数の歴史ある名門大学。将来の夢は研究者!)
ちなみにこの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」は、キリスト教の巡礼路の終着地でもあり、フランスの国境から沢山の巡礼者たちがこの場所を目指して、全長約800㎞の道を歩く、巡礼の道のゴールという神聖な場所なのだ。
私のような怠け者は、もちろん800㎞なんて歩けるわけもなく、しかしせっかくここに来たのなら巡礼者気分を味わってみたい!というミーハーな乙女心(?)を満たしてくれる場所を見つけた。
”アルベルゲ”という巡礼者宿である。(巡礼者じゃなくても宿泊可)
(昔、修道院として使用されていたという立派な建物。今は巡礼宿になっている)
(心の中で「サナトリウム」と呼んでいたドミトリー。清潔で快適だった。)
さて、荷物を下ろしフランの案内の下、旧市街散策を開始。
1985年にユネスコ世界遺産に登録された旧市街は、誰もが崇高な小説の主人公になったような気分になれる趣のある街並み。
アンダルシア地方や、マドリードで感じた「情熱の国、スペイン」のイメージとは少しかけ離れている。
スペインと一口に言っても本当に地域ごとにそれぞれ違う顔を持っている。
数年前に独立か否かで話題になったカタルーニャ地方のように、ここガリシア地方もガリシア語と言う独自の言語を持っていて、フランは家族とはガリシア語で会話するという。
ポルトガルの近くに位置することもあり、ポルトガル語に似た言語らしい。
生まれながらにしてバイリンガルとは、何ともかっこいいではないか。
しばらくすると、巨大なカテドラルと沢山の巡礼者たちが私たちの前に現れた。
初めはその巨大さに圧倒されたが、しばらく見上げているうちに肩の力が抜けて妙な安らぎを感じ始めていることに気づく。これは一体何なのだろうか。
巡礼をしていない私ですらこんな気分になるのだから、800㎞の道のりをひたすら歩いてきた巡礼者たちの達成感は計り知れないだろう。
ある者は歓声を上げて仲間と喜びを分かち合い、ある者は静かに床に寝そべり、これまでの旅路に思いを馳せているのだろうか、恍惚とした表情でカテドラルを見上げている。
平和な夏の日曜日の午後である。
カテドラルの内部を見学した後、フランは新市街、そして彼の大学のキャンパス周辺までも案内してくれた。
歩きながら色々な話しているうちに、話題はお互いの国の飲食店の話へ。
私は、居酒屋にあるタッチパネルや、ファミレスの呼び出しボタンのことなど、自分が海外を旅する中で合理的すぎると思った物の話をした。
「やっぱり日本はテクノロジーの国だね!」と興味示したので、他に何か面白いものはないかなーと思い、回転寿司の話をしてみた。
すると「それ知ってる!しんちゃんで見たことある!」と言う。
「えっ、しんちゃんって誰!?....。まさかクレヨンしんちゃんのこと!?」と聞くと「そう!」と言うではないか。
驚いた。しんちゃん....あなたいつの間に海を渡っていたのね.....ごめん、知らなかったわ。。。
おそらく彼は、しんちゃんがみさえやひろしと一緒に回転寿司を訪れるシーンをテレビで見たのだろう。
それにしても”クレヨンしんちゃん”の名前をこの場所で耳にするとは思わなかった。
ちなみに、日本では教育上悪いと言って子供にこのアニメを視聴させたがらない親もいると話すと、「スペインでは全然問題ないよ~!!」とのこと。まさかの尻出しOKらしい。
(アヒルに注意の看板があるくらい平和な街)
(フランが勉強する薬学部のキャンパス。只今、絶賛夏休み中)
(大学周辺には”アパートの部屋貸します”という広告でいっぱい)
一通り街歩きが終わったところで、彼の幼馴染たちと合流することに。
類は友を呼ぶという言葉は正しく、皆とても感じの良い爽やかな若者たちだった。
さて、彼らと合流して早々に「夜ご飯は何を食べたいか」と聞かれ、私は悩む。
「ガリシア地方の料理はお昼に連れてってもらったし、、、皆が普段よく行く場所がいいな!」とリクエストすると彼らは、少し困惑しながら「そうするとマクドナルドか、バーガーキングになっちゃうんだけど・・・。」と言うので「よし!バーガーキングに連れてって!!」とお願いした。
金欠なのは、どの国の学生も一緒。彼らはお店に着くなりスマホを取り出し、慣れた手つきでクーポンをチェックし始める。
これぞローカルの学生生活だ!とテンションがあがるのと同時に、夜遅くに友達とファストフード店に集まってダラダラおしゃべりする、あの夏休みの何とも言えないワクワク感を思い出したりなんかして。
(バーガーキング、サンティアゴ・デ・コンポステーラ店(多分)でパシャリ!)
4人はよく、誰かの家に集まって映画を見たり、お母さんお手製のピザを食べたりするそうだ。そこには気取らない、飾らない、子供時代のままの空気が流れているのだろうな。
幼馴染の1人であるロシオは、スタジオジブリ好きで日本のカルチャーにとても興味がある子だった。
つい最近、どうしても見たいと言う彼女の要望で「ハウルの動く城」を鑑賞したそうだが、他の3人が関係のないシーンで笑ったり、ツッコみを入れたりするので彼女はご立腹だったそう。
同じジブリ好きとしては、この状況に同情してしまうけれども、幼馴染と映画鑑賞会だなんて微笑ましいし、懐かしい。
会話の節々から4人の仲の良さが窺えて、こちらまで思わずニコニコしてしまう。
なんだか私も無性に幼馴染に会いたくなってきた。年末に会えるだろうか。
突然の訪問にも関わらず、親切にしてくれたフラン、そしてみんな、楽しい時間をどうもありがとう!!!
素敵な若者たちと別れた翌日、1人で再びカテドラルを訪れた。
ボーっと椅子に腰かけていたら、いつの間にかスペイン語のミサが始まり、身動きが取れなくなってしまったので見様見真似で参加した。
私は特別な宗教観はないし、何かに当てはめろと言われたら「仏教徒ですかね」程度の人間であるが、だからこそどんな宗教であっても人が真剣に祈る姿はとても美しいと思っている。
讃美歌を歌う人々の中で、この場所で感じる安らぎの源は、このカテドラルが持っている包容力なんだと気づく。
数百年以上も前からずっと沢山の人々を迎え入れてきた。
もちろん善人ばかりじゃないだろう。人はそれぞれ色々な事情を抱えているし、すがるような気持ちでここを訪れた人も数知れないと思う。
傷だらけになりながらも、ここまで辿り着いた巡礼者たちを迎える懐の深さ、訪れる人々を母のような大きな優しさで包み込む力を持っている。
美しいけれど、決して近寄りがたいわけじゃない。決して威圧したりなどしない。
いつもそこにどっしりと腰を据えて、微笑んでいるイメージだ。
このカテドラルは見た目は随分と上品だけど、メンタルは肝っ玉かあさんに通ずるものがあるのかもしれない。
夕暮れ時にもう一度ここの前を通った時、ふと「気を付けて旅しなさい。そしていつかまたここに戻ってらっしゃい」そう言われたような気がした。
この声が本物なら、多分私はまたここに戻ってくるだろう。